コミュ症について〜いきなりだったけど「なんか話しづらいな」と感じた時がその兆候だった〜

「コミュ症」という言葉がある。


昨今、「コミュニケーション力」がどうこういわれる中で


「俺、コミュ障だからさ」


と自虐的に話す人も少なくない。


でも、自虐的に言えるのはまだいいのではないだろうか。


例えば自分の弱みや失敗談でも笑って話せるのは、まだ余裕がある状態にあるからではないだろうか。


もし「本当にコミュ症」だとしたら、それはどれ程生活に支障をきたすだろう?


目にみえない痛みがあるだろう。


どんな風に対峙して乗り越えればいいのだろう。


10年以上前、中学に上がった頃からだろうか。


突然、「人と話しづらい」と感じるようになった。


「あ、これはヤバイ」と思った。


ヤバイと思ったのは

このまま、誰かと話せなかったら友達ができないと思った。

 

学校というコミュニティの中でひとりぼっちというか、「誰かから好かれなくなるかもしれない」ということが怖かった。


本当にそれは突然訪れた。


それまで会話は

つまり小学生の時までは


ただ、感覚で話ができた。


「会話はキャッチボール」と聞いたことがあるが、


言葉というボールを自然にキャッチして、自然に身体が反応して意識せずともうまくボールを相手に返せる。


多分、自然に話すことはそういう行為ではないだろうか。


親しい人と話す時に「こう言われたらこう返して」


「こういう状況の時はこんな言葉を」


「おはようと言われたらおはよう」



そんなことはきっと、一々考えないと思う。




でも、それがある日を境にできなくなった。


自然に出ていた言葉が出せなくなって、常に「頭で考えて言葉を選ばないと」言葉が話せなくなるようになった。


特に1対1で話す時が致命的だった。

3人以上でいる時は話す人が他にいるから場が持つけど、2人きりだと会話が弾まない。

というか、できない。


昔からの知り合いのわずかな人を別にして


誰かと自然に話すことが叶わなくなった。


話せなくなった。


そこで自分が取った行為は


「無理に明るいキャラを作ること」だった。


今にして思えば、そんなことしなくてもと思うけど


当時はそうしないことにはいられなかった。


「話せない」ことで、


一人になることが怖かった。

嫌われるのが怖かった。


いや、というか人気者になりたかった。


人気者になりたくて、「人気者なやつ」のイメージがあった。


勉強、スポーツが得意で明るくておもしろい。

行事ももちろん、精を出していて楽しく生活を送る。


スクールカーストでいうところの上位、いってしまえばリア充になりたかった。


そんなイメージとは裏腹に


実際の自分は人と話せなくて


静かに本を読んだり、一人でいる方が性に合っていたはずで


「イメージの自分」と「実際の自分」との差はどんどん深まっていった。


怖かった。


今思い返せば滑稽だったと思うけど


おもしろいやつになりたかった。

人気者になりたかった。


本当は話すことも

明るく振舞って笑うことも


全てが苦しかった。


本当はどこか、冷めていた。


そうして話せない、話しづらいと思う中で無理に明るく振る舞い


でも年を重ねていくごとに


その反動は出ることになった。


学校がどれ程楽しいかとか


他人からの目や

学校での立ち位置は


どうして、当時あれ程気になるものだったのだろう。


そして、誰かと話したくて


でも話すことが容易ではなくなってしまった時


話せない痛みは学校で、バイトで


あらゆる所でネックなものになることを。




長くなりそうなので、また書きます。